<ミャンマー視察の総括>
無事5日間の有意義な日程を終えることが出来ました。関係者の皆さんに御礼申し上げます。
まず、サイクロン被災に対する支援については、首相や関係大臣との会談内容や現地調査を踏まえ、新たな要請も含めて帰国後に関係機関と具体的な支援について協議して参ります。
日本も自然災害が多発する国であり、被災されたミャンマー国民の苦しみを十分に分かち合っています。我が国としては、採りうるあらゆる手段を活用し、ミャンマーの被災民を救済したいと考えており、関係諸国及び国際機関、NGOと力を合わせて、早期に立ち直ることができるよう引き続き支援して参ります。
次に、ミャンマーの政治情勢について所見を述べます。今回は、サイクロン見舞い中心とした短い滞在でしたが、滞在中に関係者からの意見聴取や実際肌で感じたミャンマーを私見ですが報告します。
我が国とミャンマーの関係は、現在の事態を懸念し、スー・チー女史を含む全ての関係者が関与した形での国民和解と民主化プロセスの具体的進展をミャンマー政府に粘り強く働きかけています。また、経済協力においては、我が国は2003年5月30日のスー・チー女史拘束事件以降の状況に鑑み、新規の協力案件については基本的に見合わせていますが、緊急性が高く真に人道的な案件については、慎重に検討した上で順次実施することにしています。
率直に、国際メディアが報じる内容と実際この目で見たミャンマーの大きな違いに驚かされました。
現政権が20年前の1988年の軍事クーデターで政権を掌握したのは事実ですが、今回のサイクロン被災に関して、支援物資を軍が搾取し被災者に届いていないとか、軍が人道支援を断り被害が拡大したとか、また、新憲法案の国民投票については、軍が被災地の支援を後回しにして強引に実施したなどの報道がなされていましたが、現地では全くそのような事実は確認できませんでした。それどころか、官民それぞれの立場で、復旧、復興、将来の民主化に向けたプロセスに献身的に取り組んでいる姿が強く心に残っています。
大使館員や直接要人に現地でお聞きしましても、被災後のミャンマー政府の対応は、これまでの外国人、特に欧州の国々からの内政干渉にさんざんひどい目にあってきたこともあり、5月10日の国民投票を控え、慎重を期したと思われます。
内政干渉の例として、以前には、フランスに本拠を置く国際的な救援組織「国境なき医師団」が、ミャンマーにおける活動の認可を取り消されたことがあったそうです。その理由は、団員達が医療活動と称して地方に入り込み、実際は治安を乱すような政治活動を行っていたとのことです。
民主化を目指し進めてきた、新憲法案の賛否を問う国民投票は、賛成が92.48%で、新憲法案は承認されました。投票率は、98.1%だったそうです。投票には、軍が不当介入すると決めつける報道もありましたが、実際には、投票の実施状況は各国大使館員(日本大使館も述べ10名参加)にも視察させるなど透明化にも力を注ぎ、少なくとも不正の事実は確認出来なかったとのことでした。
2010年の総選挙に向けて、民主化プロセスが進んでいますが、欧米から何と言われようと自国の実情に適したやり方で進めて行くというのは、当然であり、国際社会は、こうした考えに理解すべきです。
イラクでの失態をみても、西洋流の民主主義を押し付けてみたところで、かえって混乱を招くことにしかなりません。
元駐ミャンマー大使の山口洋一氏は、月刊日本7月号の寄稿で、「ミャンマーの国軍はもともと日本軍によって育成された軍隊であるだけに、軍の指導者たちは日本軍の気風を色濃く受け継いでいます。彼らは、勤勉な態度や規律正しさを日本軍から学んだ。身につけた一番の遺産は国に尽くす使命感と自己犠牲の精神であろう。
その指導者たちは決して、権力欲で政権にしがみついているのではなく、彼らなりに好ましい方向に向けた国造りに必死に取り組んでいる。
現政権が成立した当初から、「われわれは国の体制の基礎固めをするため、必要に迫られてやむを得ず政権に就いているのであって、自分たちの役割はあくまでも暫定的である。しっかりとした憲法ができ次第、その憲法に従って選挙を行い、民政移管し、われわれは兵舎に戻る。長く政権に居座ることなど毛頭考えていない。」と公言してきた。「暫定的」にしては基礎固めに時間がかかりすぎてしまったのは確かだが、それは欧米諸国の締め付けと内政干渉が国造りの努力を阻んできたからだ。」と書かれています。
私は、今回、初めてのミャンマー訪問でしたが、実に多くの、そして貴重な経験を積むことができました。私の役割は、今後の両国の友好関係の再構築に汗をかくことであることを再認識し決意を新たにしました。
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