シリーズ1「隗(かい)より始めよ」〜県庁職員の士気を取り戻す県政改革を。〜

 松形知事が今季(来年8月)限りの引退を表明し、24年ぶりの新知事の誕生に県民の関心が高まってきました。
 全国では50代前半の若々しい知事が続々と誕生し、その思いを積極的にアピールする光景を目にします。正に、その知事らと互角に渡り合いイキイキとした県政の息吹こそが、最も新知事に期待する姿です。  
 松形県政は、安定した政権運営の下、一定の成果を挙げてきましたが、一方であまりに長い体制が続いた結果、いわば「安定第一主義」の気風が蔓延して県庁の活力は後退し、特に若手・中堅職員の士気の停滞が指摘されています。
 よく行政は前例主義といいますが、これも過ぎると新しいチャレンジへの芽をつむことになります。さらに進むと「ものいえば唇寒し」の状態になり、組織として末期的なことになります。さまざまな分野を扱う県政には当然、うまくいくこともいかないこともあるわけですが、失敗を教訓とせず、責任逃れを考えたり、あるいは他人の責任ばかり追求するようでは、若い人たちが萎縮してしまうのも仕方のないことでしょう。
 私は「県政の活性化なくして宮崎の発展はなし」と考えています。大都市などとちがい、民間活力がさして高くない宮崎県においては、どの分野にしても行政がしっかり機能しないことには、この激動の時代を乗り切れるものではありません。その行政が硬直化し、変化に対応できない体質になっているのは宮崎県にとって大きな損失です。  
 宮崎県の21世紀は県知事選挙で始まるといわれます。知事が変わるだけで、ともかくも新しい風を吹かせることができるのですから、新知事にはぜひとも、県庁職員の士気を取り戻し、彼らがいきいきと働ける改革を行っていただきたいと思います。
 その手法として紹介したいのは、横浜市長の中田宏さんが、以前、私に語ってくださった「トータルコストの発想」です。私自身、県庁職員時代に痛感したことでもありますが、県庁というところは上司に提出するためや、会議の体裁を整えるための資料づくりなど、いわば内向きの仕事に膨大な時間と労力を費やします。「上に出すんだから、これではだめだ」というわけです。
 しかし県民の目線からみれば、上だろうが下だろうが身内は身内です。身内に話を通すのに必要以上の労力を費やすということは、県庁が一年間、活動していく中でいかに膨大なコストであることか。ひとつの仕事をやるために、何人が何時間かかり、総体としてのコストがどうなるのかという観点からも、内部のやりとりはなるべくシンプルにして、目線とエネルギーの配分を、内向きから県民の方に向けていかなければなりません。それによってより現場に近い若手・中堅職員の感覚を県庁中枢に通すことにもつながっていきます。
 また、いわゆる議会対策も同様で、議員の私からみても余計な根回しをしすぎではないかと思います。あらかじめ質問を入手して、答弁を用意するところまではいいとしても、完全にシナリオを書くことまでは不必要でしょう。これは議会側の課題でもありますが、いきいきとした議論が交わされていく議会をつくるためにも、県庁との水面下のやりとりはなるべく減らした方がいいのです。県民に話が見えにくくなるということもあります。
 もう一点は、職員の声が知事にまっすぐに届いていくシステムづくりです。
 明治維新で活躍した西郷隆盛は、まだどこにでもいる若者の一人だった時代から、国を論じ、農民の苦しみを訴える上申書を藩主・島津斉彬に提出していたといいます。時代の変化を敏感に察していた名君・斉彬は、現場の生の声を求めながら、次代を担う優秀な若者を見いだそうとしていたのでしょう。今、県庁でこれをやろうとすると、順調な出世はあきらめる覚悟が必要かもしれません。今の宮崎県庁が、藩政時代の薩摩よりも封建的であるはずはなく、成果=得点よりも失敗=減点を重視する、いわゆる減点主義や、組織を乱すことへのおそれが、それをさせないのです。そしてそれもまた、宮崎県にとって大きな損失です。
 もともと優秀な資質をもち、ふるさとをよくしようという志を抱いて入庁してきた職員の、アイデアや提案を活かせる、風通しのよい県庁をつくること。これが宮崎県の土台をしっかりさせ、激動の時代に対応する態勢づくりの第一歩であり、組織のためではなく県民のために仕事をしていく県政改革の第一歩だと思います。