|
マニフェスト[有権者との契約を誠実に守る政治へ]
|
今年になってマニフェストという言葉が、ちょっとブームのようになっています。ラテン語で『明示する』という意味だそうですが、これまでの耳ざわりいい選挙の時だけの公約ではなくて、具体的な数値目標や財源、期限を明示した、いわば有権者との契約のことです。
政治家にとっては、数値目標を宣言し、次の選挙で評価・検証されるという緊張感に加えて政治的リスクも伴います。与党にとっては期末試験、野党にとっては入学試験ということでしょう。もちろん、試験官は、国民一人ひとりです。
かつて消費税を争点とした選挙で与党は大敗しました。その後、政党は選挙で甘い砂糖のような公約しかしなくなり、政治の没落が始まったように思います。今春の知事選では財源という苦い薬をマニフェストに訴えた候補者が有利に戦ったか、圧勝しました。将来のあるべき姿、ビジョンを誠実に示し、説明責任を果たし結果、有権者は賢く反応したということです。
今回、初めて、マニフェストが争点となる総選挙になりました。私たちは、直接総理大臣を決める手段がないだけでなく、支持する政党がどの政党と組むかについても参加できない、いわばおまかせ民主主義に甘んじているわけですが、達成責任をともなう具体的な政策が、あらかじめ提示されることは、一歩前進したといえるでしょう。
与党と野党の力が違いすぎると、政治のやり方が間違っていると批判はできても、それを止めることはできません。そこで、今日本の政治の世界では、与党になれるだけの力を持つ二つの大きな政党が、お互いをチェックしながら与党になったり、野党になったりする二大政党制がいいのではないかという考えが広まってきました。
イギリスでは保守党と労働党、米国では共和党と保守党というそれぞれ二つの政党が、与党あるいは野党になって政治を行います。
米国ではそれぞれの政策を国民に訴え、国民が自らの意思で共和党政権か民主党政権を選択しています。選ばれた政権政党も、国民の支持を失えば、次の選挙で政権を追われてしまう緊張感を持ち続け、国民のために何が一番いいのかを基準に政治を行っています。その中で、繰り返し政権交代が行われているのです。これは米国だけではなく、英国などの他の民主主義国家でも、国民の意思により政権交代は、幾度となく行われています。
しかし、日本は戦後ほぼ一貫して自由民主党が政権を担当してきました。その結果、日本の政治は安定し経済発展を遂げることができましたが、一方、同じ政党が半世紀以上も権力の座にとどまった結果、国政は弛緩し、不祥事があとをたたなくなりました。政官財が癒着し、国民のための政治ができなくなってきました。それが、不透明な将来、日本社会全体を覆う閉塞感の根元にあります。
それでは、これまで私たち国民は主権を行使して「政権」を選択してきたでしょうか。残念ながら、これまで私たちは、政治に無関心を装い、選択できるという主権者としての自覚を持たず、ただ経済的豊かさをむさぼり、傍観者のように政治を批判してきたのではないでしょうか。
もちろん、二大政党がベストというわけではなく、衆参院選挙では比例制度もあるので、二大政党にはなじまない面もあります。三大政党制がいいのか、という議論もありますが、まずは、政権選択の第一歩、真に国民が参加する選択手段として二大政党制への移行は意味があるものと思います。
また、私の立場からいいますと、夢物語の公約ではなく、きわめて具体的な政策を求められるマニフェストの考え方は議員一人ひとりの資質を、鋭く問われることになると思います。議会活動を重視しない調整型、行政の不備をつくだけの追求型の議員ではなく、常に現場に立脚し、政策の勉強を続ける政策提案型の議員ではなくてはつとまらなくなるでしょう。それは、議会改革にもつながります。
身の引き締まる思いですが、私は大歓迎しています。 |
|
|
|
|
|